フィンランドの大作曲家シベリウスはと年金生活について、先日のNHKTVの「N饗アワー」で、作曲家の池辺晋一郎氏が、興味ある話をされていましたので、紹介いたします。
作曲家 池部晋一郎氏が「年輪を重ねてこそできる創作もある」として、概ね次ぎのようなことを言っております。
「日本狂詩曲」などの管弦楽作曲に加え、映画「ゴジラ」の音楽で人気が高い伊福部昭(90才)は、現在車椅子で外出をされるが、昨年も作曲をされ素晴らしい。また、作曲家、松平頼則(1907-2001)は、逝去の数日前に歌曲「迦陵頻伽」を仕上げ、さらに病室には書きかけの草稿が残っていたとは、これまた素晴らしい。
一方、近代フィンランドの大作曲家、シベリウス(1865-1957)。彼は92才まで生きたことになるが、その人生の最後の3分の1の期間は、ほとんど作曲していない。7つの交響曲に続く「第八番」のプランを練っていたと聞く。だが、それまで1曲ごとに続けてきた新しい試みについて創案が浮かばず、書けなかった。「年をとった作曲家にとって、作曲することは容易なことではない」と語ったたと言う。むしろ厳しさを感じることばだが、31才の時から受けた国家年金が次第に増額され、生活のために作曲する必要がなくなった、とい
う説もある。
ある時、脚本家の山田太一さんが、こんなことを話してくれた。「創作は大変なエネルギーを要するから、まあ60才くらいやればいいんじゃないか。だからシベリウスの生き方は当然だ、とかっては思っていた。だが、自分がある程度の年齢になったら、それは違うと感じ始めた。その年齢でしか書けないものがある。それをやるべきなんじゃないか。シベリウスの生き方にはなじめないと思うようになった」。
さて、不遜ならが僕は自分の生きかたを考えてみる。一人の作曲家として僕は、死ぬ日の朝まで書いていたい。いくつまで生きられるかわからないが、幾多の優れた先達うを思いつつ、「その年齢だからこそその創作」を持続したいと願うのである。
年金生活者にとって、興味のある話題だと思いますが、如何でしょうか。
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