2012年3月31日土曜日

中世・鎌倉の地震と津波(広報「かまくら」から)


市の広報「かまくら」 2012年4月1日号に、中世鎌倉の地震と津波についての記述がありました。以下に紹介いたします。

中世・鎌倉のまちづくり

地震と津波

 中世・鎌倉の地震や津波についての記事を紹介します。
昨年3月11
日の東日本大震災を受け、県は「神奈川県津波浸水予測図(素案)」を発表しました。その中で「明応型地震」などの地震について述べています。
 明応年問には、鎌倉で二度大きな地震が発生した記録があります。明応4年(1495)8月15日と7年(1498)8月25日です。前者については『鎌倉大日記』など四つ、後者については『異本塔寺長帳』など三つの異なる文献に記事が載っています。
 特に明応4年の記事が詳しく、由比ヶ浜の海水があふれ大仏殿堂舎屋を破壊し、溺死者が200余人にのぼったことなどが書かれています。
 また明応7年の記事では、由比ヶ浜の海水が湧き、大仏殿まで上がるとあります。
 一方、次のような記録もあります。
 文明18年(1486)に鎌倉を訪れた禅僧・萬里集九(まんりしゅうく)は、その日記に「大仏は堂宇が無く露坐である」と記しており、このことから、明応4年の地震の前に、すでに大仏殿の建物はなかったことが伺えます。
 「大仏殿」という言葉は、現在では大仏を覆う建物を想像しますが、中世では寺院を指す名称だったという指摘も
あります。
 境内の発掘調査では、大仏の覆い跡の礎石を乗せる「根固め」が発見されました。その海抜は約13メートルでした。
 参道部分での発掘調査では津波の痕跡を探るため、土中に含まれる珪藻(けいそう)の分析を行いましたが、明確な津波の痕跡は検出できませんでした。
 以上のことから、津波は大仏脇の稲瀬川をさかのぼり、近くにあった建物などを壊したとも考えられます。
【文化財課】

2012年3月25日日曜日

秦さまからの贈り物 桜の季節になりました

私の友人が、昨日松田を訪問し、河津桜の写真を送ってくれました。
我々にとって、竹内先生との懐かしい思い出と重なる光景があります。

写真は酒匂川を挟んで ①対面の箱根明神岳 ②眼下の酒匂川 ③東名高速道 ④盛りの菜の花と桜 です。
規模は小さいけれど、簡単に行けますし、結構美しい(箱根、富士のバックが良い)のでご紹介いたします。

秦浩一



















2012年3月21日水曜日

秦さまからの贈り物 Dubai Aquarium

皆様

淀みないオイルマネーの恩恵を受けて繁栄の一途を歩む中東の一国、ドバイの
社会資本の様子です。
巨大な水族館等は、想像を絶する規模のようです。

石油資源の枯渇が遠からず到来すると、この国の将来、50年、100年先は
どうなっているかなと思ったりしています。

観光旅行では、訪問する機会が少ないでしょうから、添付画像をご覧に
なって下さい。

米国の友人からの配信です。


秦浩一