2011年12月29日木曜日

森山夫人からの返礼の手紙

故森山昌輝君のご令室光子様からの返礼の手紙を12月29日に受取りましたので皆様に下記のようにご連絡いたします。
 手紙によりますと、故人が地域に密着した多彩な活動を精力的に行い、それに伴う広い交際範囲を窺い知ることが出来ます。 





 なお、クラス会から香典等を送付した際の手紙は、下記の通りです。

森山 光子様

 このたびの森山昌輝様の突然の訃報に接し、鎌倉付属小学校のクラス会の一同大変驚き言葉を失っています。
 目を閉じると昌輝様の陽気な笑顔ばかりが浮かび、未だに本当のことなのかどうか受け入れることができないでおります。
 私達のクラス会でも何事にも積極的に行動し明るいお人柄であっただけに、ご遺族の皆様のご心痛はいかばかりかと、心からお察し申し上げます。お力をお落としのことと存じますが、どうか、お気持ちを強く持たれますよう心よりお祈り申し上げます。
 本来であれば四十九日法要にかけつけてお悔やみを申し上げたいところですが、内々の家族葬ということですので、申し訳ございませんが参列は控えさせていただきます。
 つきましては、クラス会からのささやかな香典と十月のクラス会でのスナップ写真を同封いたしました。ご霊前にお供えくださればと思います。
 まずは略儀ながら書中をもちまして御冥福をお祈り申し上げます。
 なお、念のためにお返し等のご配慮は一切無用であることを申し添えさせて頂きます。







                                 合 掌
  平成二十三年十一月



     鎌倉付属小学校クラス会一同



                          幹事  斉藤 彰
                               小澤維大










2011年11月16日水曜日

斉藤夫妻が推進する「大豆100粒運動」が新聞記事に

TPPへの参加論争が過熱している折、TPPに関連して齋藤夫妻が推進している「大豆100粒運動」が、「東京新聞」11月15日(朝刊)に掲載されましたので皆様に紹介いたします。











実れ! 子供の手で故郷の「食」
   甘さ、香り格別  収穫で意識と食卓に変化

 しょうゆ、みそ、豆腐。暮らしに深く根差しているこれらの食品の原料となる大豆は、わずか6%の国内自給率しかない。環太平洋連携協定(TPP)交渉をめぐり故郷のr食」が揺らぐ中、大豆の自給率を高めようと、子どもたちの手で種から大豆を育てさせる「大豆100粒運動」が各地に広がっている。(伊藤治子)


 運動は二〇〇四年、「この国の大豆を再興したい」という料理家で随筆家の辰自芳子さんの呼び掛けで始まった。小学校に入ったばかりの子どもが両手で大豆をすくうと、およそ百粒あることから、こう名付けられた。
 当時、神奈川県鎌倉市の市立稲村ケ崎小学校では、新たな「食育」として、荒れた湿田を利用した米作りの準備が進んでいた。
 校長だった斎藤千歳さん(六四)は、ヨシを刈って姿を現したあぜを見て、愛媛県西条市の農家で過ごした幼いころを思い出していた。
 かすりのもんぺ姿の母親が「あぜ豆を植えれば、みそやきな粉ができる」と言って、クワの背であぜにぽんぽんと穴を開けいった。千歳さんは母の後から、その穴に豆を二、三粒ずつまいた。
 秋になると、稲穂がたわわに実るその脇で、大豆が育った。
 「昔は狭いあぜでも、土を遊ぱせておくのはもったいないと考えた"米を作るなら、大豆も作ろう」。同校は〇六年、100粒運動に手を挙げた。「一番、土地に合って育てやすい」いう理由で、まいたのは地元に伝わる「溝久井在来」と呼ばれる大豆。
 六月下旬、四年生が畑に十センチ間隔で深さ約三センチの穴を開け、大豆を二粒ずつ入れて土をかぶせた。芽が出ると、子どもが「茶色い豆から、なんで緑が出るの」と聞いてきた。夏休みに観察日を設け、子どもたちが水やりした。花が咲き、さやもできたが、さやの中身はからっぽだった。
 カメムシの被害か。原因は分からないまま、翌年は全校生徒が大豆栽培に挑戦カメムシや鳥の被害を防ぐために畑を布で覆うなどしたところ、今度はさやに実が入った。十月に枝豆を味わい、十一月に大豆を収穫。納豆やみそ、豆腐を造った。布でふいた大豆をフライパンで軽くいって石臼でひくと、きな粉の強い香りが学校中に広がったという。
 「普通の店で買う枝豆より、百倍おいしく甘かったです」「雑草を取ったり、虫を捕ったりするのが意外と大変だった。農家の人たちは、苦労して作っているんだなと思った」。子どもたちは感想文にこう書いた。

 (小学校中心に今年は350団体)
 規在、千歳さんと、夫で元小学校長の彰さん(七〇)は鎌倉市の自宅をNPO法人「大豆100粒運動を支える会」の事務局にしている。
 運動に参加する学校は年々増え続け、今年は十四都府県で小学校を申心に幼稚園、中学など約三百五十団体が参加。約二万人の子どもが大豆を育てた。
 斎藤夫妻は、子どもたちが育てた大豆を食べた周りの大人たちが、その甘さや香りの強さを知り、変わっていく様子も見てきた。
 「外国産の大豆が安くても、作り手が確かな国産の大豆を選ぶようになった」と彰さん。千歳さんは「学校でみそを造った子どもは、家でみそ汁を飲みたがる。台所の大豆製品が増え、食卓のおかずも増えた」と話す。
 100粒運動の目標は、大豆の再興が地域の着実な底力となることだという。その取り組みがゆっくりと根を下ろし始めている。

2011年11月5日土曜日

森山昌輝君逝去


突然の悲報をお知らせいたします。
森山昌輝君が、10月31日に心筋梗塞で急逝されました。
既に、自宅で家族葬(3日通夜、4日告別式)執り行われたとのことです。
心からご冥福をお祈りいたします。

私達クラス会として、何か気持ちをお伝えしたいと思いますが、具体的には幹事たちで相談してご連絡いたします。

以下は、10月14日のスナップ写真です。

















2011年10月14日金曜日

2011 同窓会(清友会)写真速報

10月14日(金) 鎌倉駅に隣接した「アスター」にて、参加者28名。

岩戸君の初参加が大きな話題になりました。







































2011年9月30日金曜日

2011クラス会  26名が出席回答

齋藤幹事から、9月末日現在のクラス会(10/14)の出欠状況についての情報を得ましたので連絡いたします。

出席回答者 26名(男15名、女11名)

欠席回答者  5名(男3名、女2名)

未回答者    6名(男3名、女3名)

出席回答者(敬称略)

 (男) 石川、金田、桐ヶ谷、黒岩、木場、齋藤、佐野、
竹下、秦、、日高、前畑、小澤、持田、横田、若田

 (女) 秋元(磯部)、村井(井上)、草間(岡)、昇(奥山)、
賀川(門坂)、川口、藤井(寺西)、鈴木(野口)、
平松(丸屋)、渡辺(元松)、小林(薬師寺)

欠席回答者 (敬称略)

 (男) 瀧本、中川、山本

 (女) 茂原(浜田)、吉田有子


未回答者(敬称略)

 (男) 森山、、岩戸、神田

 (女) 大山、清水、金沢(星)


付記、先に行なわれた1組の古希の会には、25名が参加したとのことです。

2011年9月28日水曜日

秋 清水汀子さんの美術展(2件)

大暴れした台風も去って、穏やかな秋の陽光の降り注ぐ季節になりました。
清水汀子さんの2件の美術展についてご案内いたします。
なお、詳しいことは、直接ご本人に確認してください。

















2011年7月25日月曜日

夏の「ミニ清友会」  源平池の蓮

7月23日(土)夕刻に「尾崎」で男性有志12名が集い「ミニ清友会」を開き、歓談のひとときを過ごしました。
既に誕生日を迎えて60代を過ぎた人も含めて皆さん元気で、70代に余裕をもって進めそうです。
秋の「清友会」(10月14日)は、今年は鎌倉で行われます。(写真提供 秦様)



八幡宮の源平池の蓮が池いっぱいにほぼ満開になりました。
今年は、大震災のあった年であるとともに、竹内、村上の両先生が亡くなられた年でもあります。
蓮の花の宗教的な雰囲気は、見る者に祈リを感じさせます。















2011年7月9日土曜日

村上先生ご逝去に関する藤井(寺西)様からの情報

村上先生のご逝去の報として、藤井(寺西)様から以下のような情報を手紙でいただきました。皆様へ紹介いたします。


        (華正楼でのスナップ 約30年以前)


先生の奥様から藤井様宛の訃報の知らせ




先生の奥様から藤井様宛の今年の年賀状と藤井様のコメント。(先生ご本人は、体調が悪いせいか、奥様からの年賀状になっております)
先生も奥様も、86才とのことです。私達より16才ほど歳上になります。私達もあと16年はこの世にいたいものです。



藤井様の話では、岡さん奥山さんとお参りに伺うつもりでしたが、来週納骨とのことで、納骨が終わってからにしたとのことです。

私達(男性)は、7月23日の会合で墓参等について話し合いたいと思います。

2011年7月6日水曜日

秦様からの贈り物 動物たち

動物たちの心安ます映像です

特に最後の映像は、大空に顔が描からたような瞬間的な映像です。