実れ! 子供の手で故郷の「食」
甘さ、香り格別 収穫で意識と食卓に変化
しょうゆ、みそ、豆腐。暮らしに深く根差しているこれらの食品の原料となる大豆は、わずか6%の国内自給率しかない。環太平洋連携協定(TPP)交渉をめぐり故郷のr食」が揺らぐ中、大豆の自給率を高めようと、子どもたちの手で種から大豆を育てさせる「大豆100粒運動」が各地に広がっている。(伊藤治子)
運動は二〇〇四年、「この国の大豆を再興したい」という料理家で随筆家の辰自芳子さんの呼び掛けで始まった。小学校に入ったばかりの子どもが両手で大豆をすくうと、およそ百粒あることから、こう名付けられた。
当時、神奈川県鎌倉市の市立稲村ケ崎小学校では、新たな「食育」として、荒れた湿田を利用した米作りの準備が進んでいた。
校長だった斎藤千歳さん(六四)は、ヨシを刈って姿を現したあぜを見て、愛媛県西条市の農家で過ごした幼いころを思い出していた。
かすりのもんぺ姿の母親が「あぜ豆を植えれば、みそやきな粉ができる」と言って、クワの背であぜにぽんぽんと穴を開けいった。千歳さんは母の後から、その穴に豆を二、三粒ずつまいた。
秋になると、稲穂がたわわに実るその脇で、大豆が育った。
「昔は狭いあぜでも、土を遊ぱせておくのはもったいないと考えた"米を作るなら、大豆も作ろう」。同校は〇六年、100粒運動に手を挙げた。「一番、土地に合って育てやすい」いう理由で、まいたのは地元に伝わる「溝久井在来」と呼ばれる大豆。
六月下旬、四年生が畑に十センチ間隔で深さ約三センチの穴を開け、大豆を二粒ずつ入れて土をかぶせた。芽が出ると、子どもが「茶色い豆から、なんで緑が出るの」と聞いてきた。夏休みに観察日を設け、子どもたちが水やりした。花が咲き、さやもできたが、さやの中身はからっぽだった。
カメムシの被害か。原因は分からないまま、翌年は全校生徒が大豆栽培に挑戦カメムシや鳥の被害を防ぐために畑を布で覆うなどしたところ、今度はさやに実が入った。十月に枝豆を味わい、十一月に大豆を収穫。納豆やみそ、豆腐を造った。布でふいた大豆をフライパンで軽くいって石臼でひくと、きな粉の強い香りが学校中に広がったという。
「普通の店で買う枝豆より、百倍おいしく甘かったです」「雑草を取ったり、虫を捕ったりするのが意外と大変だった。農家の人たちは、苦労して作っているんだなと思った」。子どもたちは感想文にこう書いた。
(小学校中心に今年は350団体)
規在、千歳さんと、夫で元小学校長の彰さん(七〇)は鎌倉市の自宅をNPO法人「大豆100粒運動を支える会」の事務局にしている。
運動に参加する学校は年々増え続け、今年は十四都府県で小学校を申心に幼稚園、中学など約三百五十団体が参加。約二万人の子どもが大豆を育てた。
斎藤夫妻は、子どもたちが育てた大豆を食べた周りの大人たちが、その甘さや香りの強さを知り、変わっていく様子も見てきた。
「外国産の大豆が安くても、作り手が確かな国産の大豆を選ぶようになった」と彰さん。千歳さんは「学校でみそを造った子どもは、家でみそ汁を飲みたがる。台所の大豆製品が増え、食卓のおかずも増えた」と話す。
100粒運動の目標は、大豆の再興が地域の着実な底力となることだという。その取り組みがゆっくりと根を下ろし始めている。
甘さ、香り格別 収穫で意識と食卓に変化
しょうゆ、みそ、豆腐。暮らしに深く根差しているこれらの食品の原料となる大豆は、わずか6%の国内自給率しかない。環太平洋連携協定(TPP)交渉をめぐり故郷のr食」が揺らぐ中、大豆の自給率を高めようと、子どもたちの手で種から大豆を育てさせる「大豆100粒運動」が各地に広がっている。(伊藤治子)
運動は二〇〇四年、「この国の大豆を再興したい」という料理家で随筆家の辰自芳子さんの呼び掛けで始まった。小学校に入ったばかりの子どもが両手で大豆をすくうと、およそ百粒あることから、こう名付けられた。
当時、神奈川県鎌倉市の市立稲村ケ崎小学校では、新たな「食育」として、荒れた湿田を利用した米作りの準備が進んでいた。
校長だった斎藤千歳さん(六四)は、ヨシを刈って姿を現したあぜを見て、愛媛県西条市の農家で過ごした幼いころを思い出していた。
かすりのもんぺ姿の母親が「あぜ豆を植えれば、みそやきな粉ができる」と言って、クワの背であぜにぽんぽんと穴を開けいった。千歳さんは母の後から、その穴に豆を二、三粒ずつまいた。
秋になると、稲穂がたわわに実るその脇で、大豆が育った。
「昔は狭いあぜでも、土を遊ぱせておくのはもったいないと考えた"米を作るなら、大豆も作ろう」。同校は〇六年、100粒運動に手を挙げた。「一番、土地に合って育てやすい」いう理由で、まいたのは地元に伝わる「溝久井在来」と呼ばれる大豆。
六月下旬、四年生が畑に十センチ間隔で深さ約三センチの穴を開け、大豆を二粒ずつ入れて土をかぶせた。芽が出ると、子どもが「茶色い豆から、なんで緑が出るの」と聞いてきた。夏休みに観察日を設け、子どもたちが水やりした。花が咲き、さやもできたが、さやの中身はからっぽだった。
カメムシの被害か。原因は分からないまま、翌年は全校生徒が大豆栽培に挑戦カメムシや鳥の被害を防ぐために畑を布で覆うなどしたところ、今度はさやに実が入った。十月に枝豆を味わい、十一月に大豆を収穫。納豆やみそ、豆腐を造った。布でふいた大豆をフライパンで軽くいって石臼でひくと、きな粉の強い香りが学校中に広がったという。
「普通の店で買う枝豆より、百倍おいしく甘かったです」「雑草を取ったり、虫を捕ったりするのが意外と大変だった。農家の人たちは、苦労して作っているんだなと思った」。子どもたちは感想文にこう書いた。
(小学校中心に今年は350団体)
規在、千歳さんと、夫で元小学校長の彰さん(七〇)は鎌倉市の自宅をNPO法人「大豆100粒運動を支える会」の事務局にしている。
運動に参加する学校は年々増え続け、今年は十四都府県で小学校を申心に幼稚園、中学など約三百五十団体が参加。約二万人の子どもが大豆を育てた。
斎藤夫妻は、子どもたちが育てた大豆を食べた周りの大人たちが、その甘さや香りの強さを知り、変わっていく様子も見てきた。
「外国産の大豆が安くても、作り手が確かな国産の大豆を選ぶようになった」と彰さん。千歳さんは「学校でみそを造った子どもは、家でみそ汁を飲みたがる。台所の大豆製品が増え、食卓のおかずも増えた」と話す。
100粒運動の目標は、大豆の再興が地域の着実な底力となることだという。その取り組みがゆっくりと根を下ろし始めている。
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