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清水汀子さんから以下の連絡を受けましたので、皆様に紹介いたします。興味のある方でご都合のつく方は足を運ばれたら如何でしょうか。日 時 2012年5月22日(火)~28日(月) 11時30分~6時30分(最終日は5時終了、その後ささやかなパーティ)場 所 ギャラリー成瀬17(JR横浜線成瀬駅北口) 042-705-6840 町田市南成瀬1-1-2 プラザナルセ2F付 記 清水さんは23日の午後会場にいらっしゃるとのことです。
皆様
確か二年近く前と思います。
海外の友人が送り届けてくれ、皆様に配信したと記憶しています。
良質の画像と音楽は、世界中を駆け巡るのでしょうか?
ヨーロッパの友人が送ってくれましたので、此処に再送信します。
ご家族、ご友人の皆様と、暫し「スイス旅行をお楽しみ下さい。
秦浩一
市の広報「かまくら」 2012年4月1日号に、中世鎌倉の地震と津波についての記述がありました。以下に紹介いたします。中世・鎌倉のまちづくり
地震と津波 中世・鎌倉の地震や津波についての記事を紹介します。
昨年3月11日の東日本大震災を受け、県は「神奈川県津波浸水予測図(素案)」を発表しました。その中で「明応型地震」などの地震について述べています。
明応年問には、鎌倉で二度大きな地震が発生した記録があります。明応4年(1495)8月15日と7年(1498)8月25日です。前者については『鎌倉大日記』など四つ、後者については『異本塔寺長帳』など三つの異なる文献に記事が載っています。
特に明応4年の記事が詳しく、由比ヶ浜の海水があふれ大仏殿堂舎屋を破壊し、溺死者が200余人にのぼったことなどが書かれています。
また明応7年の記事では、由比ヶ浜の海水が湧き、大仏殿まで上がるとあります。
一方、次のような記録もあります。
文明18年(1486)に鎌倉を訪れた禅僧・萬里集九(まんりしゅうく)は、その日記に「大仏は堂宇が無く露坐である」と記しており、このことから、明応4年の地震の前に、すでに大仏殿の建物はなかったことが伺えます。
「大仏殿」という言葉は、現在では大仏を覆う建物を想像しますが、中世では寺院を指す名称だったという指摘も
あります。
境内の発掘調査では、大仏の覆い跡の礎石を乗せる「根固め」が発見されました。その海抜は約13メートルでした。
参道部分での発掘調査では津波の痕跡を探るため、土中に含まれる珪藻(けいそう)の分析を行いましたが、明確な津波の痕跡は検出できませんでした。
以上のことから、津波は大仏脇の稲瀬川をさかのぼり、近くにあった建物などを壊したとも考えられます。
【文化財課】
私の友人が、昨日松田を訪問し、河津桜の写真を送ってくれました。
我々にとって、竹内先生との懐かしい思い出と重なる光景があります。
写真は酒匂川を挟んで ①対面の箱根明神岳 ②眼下の酒匂川 ③東名高速道 ④盛りの菜の花と桜 です。
規模は小さいけれど、簡単に行けますし、結構美しい(箱根、富士のバックが良い)のでご紹介いたします。
秦浩一
皆様
淀みないオイルマネーの恩恵を受けて繁栄の一途を歩む中東の一国、ドバイの
社会資本の様子です。
巨大な水族館等は、想像を絶する規模のようです。
石油資源の枯渇が遠からず到来すると、この国の将来、50年、100年先は
どうなっているかなと思ったりしています。
観光旅行では、訪問する機会が少ないでしょうから、添付画像をご覧に
なって下さい。
米国の友人からの配信です。
秦浩一